週報_1月第1週

あけましておめでとうございます!

プライバシーの露出ゴリゴリでお届けする週報をですね、今年はやっていきたいなと思っております。最近何をして、何を考えているのかを週報形式でお届けしたいと考えております。リンクからしか記事が開けない限定公開スタイルを取ろうと思っているので、リンクをSNSでばら撒いたりとかしない感じでお願いしたいです〜!(今回は公開で...)

問題は運スタのかつほーすら出さなかったズボラ人間に続くのかという点なんですが、前もって予防線を張っておくと、おそらく不定期に更新することになると思いま〜す。ごめんなさ〜い!

毎週とかそういうのは無理です。英語も筋トレも習慣化しない自堕落オバケなので。あ、や、今年は頑張ります。

新年の抱負

今年はもっと積極的に生きていきたいな〜って思います。特にスピードですかね。脊髄で思考していきたい。

まぁ良くも悪くもなんですけど、色々考えてから動くのでトロいんですよね。お水こぼしちゃった時に即座に動いてティッシュとか布巾とかとって来れる人いるじゃないですか。あれになりたい。なんか「あ〜水こぼしたなぁ」っていう状況把握がまず来て、みんなが動いてるな〜ってぼんやり考えて、じゃあみんな動いてるし店員さん呼んでくるかぁ...って動き出す、みたいなことを毎回やってるんですけど、多分社会人1年目の動きとしては0点なので、そういうところですかね。ひな壇の若手芸人の気持ちで日々を送っていきたいです。初動ミスっても多分可愛いし。厚かましく生きていこう!

あと単純に社会人になると人脈繋いだり、楽しい企画に顔出したりとかって難しくなりそうなんで、そういうのには積極的にいきたいです!年度末までにお笑いライブと演劇をやるつもりなんですけど、社会人になってからも細々そういうことはやっていきたいな!って思ってます。企画もしますけどお誘いくださいな!土日は寝るかゲームするかしかしてなさそうなので...。

最近の時事の話...

1月第1週はほとんど家におり何もしていなかったので、最近のニュース的な部分で考えていたことを細々と記録します。

NHK紅白の話

初っ端から去年の話なんですけど、まぁ気にせずに。個人的にはAdoの『唱』の演出とかも好きだったんですけど、YOASOBIの『アイドル』がぶっちぎりでおもしろ演出だったのかなぁ...と思ったり、思わなかったり。議論の余地はあると思うんですけど、ぼくはかなり好きでした。

紅白の視聴率が悪い、面白くない、みたいな批判がありますが、あれって紅白にしかできないパッケージがほとんどないことが企画の難しさの根本にあるんだと(勝手に)思います。それも当然で、「万人受け」が至上命題の紅白において「企画を尖らせる」ということは許されず、かといって他の歌番組(CDTVの特番とか、Mステの特番とか)との違いを出す必要がある、というめっちゃ難しい制約が課されていて、可哀想すぎるなぁ...と思います。解決策として近年は企画(けん玉とかドミノとか)、最近はアーティストのコラボレーションにも振ってて、それが今回の『アイドル』演出の下地だったんだろうなぁと思います。まぁこの路線はFNS歌謡祭に潰されてる気配があるのでオリジナリティとしては若干の怪しさがありそうなんですが、FNSは40-50代をコンテンツのメインターゲットに据え、ミュージカル俳優などをキャスティングすることでコアファンの需要を満たし、そこに最近の色を混ぜる、みたいな滑らない工夫をしている一方で、NHKは満遍なくコンテンツターゲットを散らし、(特に若者世代が)飽きないようにアイドルをバックダンサーでキャスティングしたり、コンテンツを知らない人向けに司会の有吉を聞き手にして解説を加えたりと、ニュートラル寄りの設計をしているのかなぁ〜みたいなことを考えています。全然違ったらすまん。

そういう意味で、アイドルって紅白にしかできないコラボ企画だし、めっちゃ豪華だし、紅白としては最高だったんじゃ?って思いました。NHKすげえ、みたいな。この路線継承してほしいな〜ってふんわり思ってます。皆さんはどうですかね?

そういえば、演出批判、あの歌詞を本物のアイドルに歌わせるなんて、みたいな話もありましたけど、みなさんどう思いました?ぼくはどっちかというと、この曲を割り当てられてちゃんと踊り切るアイドルってすげ〜って気持ちになったんですけど。虚構を演じ切ることへの執念とかプライドとか、めちゃかっこよくないですか?違う?

それはともかく、なんかこの演出の仕方から考えていたのは、現代のJ-POPにおいて「意味の咀嚼」ってめちゃくちゃ大事じゃないんだろうな〜って思いました。文としての解釈というよりは、それぞれの単語が持っている音とイメージ、そして韻が「詞」を構成していて、そういう文化を牽引しているうちの一つのはいわゆるアイドル楽曲だと思うので、そういう意味ですごく面白いなって思いました。日向坂の楽曲とかそうですけど、アイドルっぽい音楽にアイドルっぽい単語で構成された詞が乗っかっているだけで成立しちゃうんですよね。まぁだからヒットソングがないんだと思うんですけど。でもそれってすごくビジネス的・プロデュース的に便利ですよね。まぁ、演じるアイドルはそこに意味を見出すし、コンテンツ消費側も同様なんですけど、あっけらかんと「無意味さ」を前提にしても成立するような文化がそこにはある。芸術とかもまぁまぁ近いような気がするんですよね。実際に無意味かどうかは別にしても、提供する側はコンテンツを暗号化することで、一様にできるというか、「いつもの」にできるって側面はあると思います。逆に受け取る側も、実際に込められた意味と距離ができるとみんな安心して解釈できるし、間違いだと言われなくて済みますよね。その解釈もいいよね!って言えるっていうか。こういう仕草に批判的な人もいるでしょうけど、コンテンツとしては大事なことなので。

もうちょっと雑なことを言えば、これは乃木坂オタクの視点で考えているからかもしれないですけど、やっぱり「アイドル」というものが持っているイメージはある種「新喜劇」的なものに移り変わっていて、何か決まった規範の上でアイドル側もオタク側もコンテンツに関わりましょうね、というカタがあって、その枠からはみ出たりはみ出さなかったりするのを楽しむ、みたいになってきていると思うんです。ペンラ振り回すのとか、コールとかは昔からあるけど、「推し」という概念が整備されて、推し方も運営側から提供されて、それにあんまり文句も言わずに乗っかる、みたいになってきたのって最近じゃないですか。

だから、YOASOBIの『アイドル』をアイドルが歌うことに、そこにはそれ以上の意味はないし、すんなり流していくんだと思うんです。そこに苦しくなっちゃったり、意味を見出しちゃう人もいると思いますけど、むしろ上手く流さなきゃいけないというか、流せる人がうまくいきますよね。そういうことを見せられてるなぁ〜って思いました。社会とか、学校とかでもそういうところありますよね。そういうものが「残酷さを押してアイドルに『アイドル』を歌わせる」っていうキャスティングに現れていて、すごく「イマドキ」な演出なんだろうなぁコレ、っていう。あ、話が長くなっちゃいそうなので一旦ここで切ります。

最後に、咀嚼しきれてないんですけどアイドルの流れで見かけたツイートの中でアツそうな主張だな〜って思ったツイートを貼っておきます。

 

震災

新年早々地震があって、なんか色々な話が飛び交っていますね。

個人的にはこの話が一番気に留まっているというか、まぁそうだよな、って思ってます。実は昨年防災士の資格を取り(というよりは親から取らされたという方が近いですが)、その講習の中で避難の放送をどう伝えるべきなのか、というのをちょうどNHKの職員さんが喋っていたので、あ、これかぁ...という若干の感動もあり、印象的でした。

www.nhk.or.jp

プロ意識って、多分こういうことを言うんだろうな...って思いました。個人的にはあれに「叫び」という表現を使うのはどうなんだろう...と思い、ネットニュースのタイトル群には、かなり複雑な気持ちになりました。叫びという単語には、理性的な要素が含まれていなさすぎるような気がするので。叫びってなんだよ、ヒステリーじゃあるまいし。

逆に言えば、シネマティックに報道することの是非はもっと考えるべきなんだろうな、と思います。緊急性のある放送において感情的なアプローチが必要な一方で、報道についてはどうなのだろう...と。感情的なアプローチにはしやすいものとしにくいものがあるはずで、こうした震災などは明らかに「しやすい」類のものであるはずです。

www.bbc.com

www.bbc.com

日航機炎上事故の件もそうですが、BBC(をはじめとした欧米の報道機関)はかなり「映画」的な映像・写真を使っているように思います。それはBBCのスタイルなのでしょうが、何だかこうすることでビューは稼ぎのような気が僕はしてしまいます。こうした報道に「クオリティが高い」という声もあって、そんなのカメラの質と加工ソフトかけたかどうかだけの差なんだから...と思っていまいました。

ドキュメンタリーだな、って思えてしまいます。それによって、現場との心的な距離の遠さも際立ちます。「苦しんでる人がいるんだな、ところで...」みたいな。「募金しなきゃ」くらいまでは思うのかもしれないし、それでもいいのかもしれませんが、報道って別に人の心を動かすためのものじゃないような気がするんですよね。じゃあなんのためなの?って言われると、よくわからないんですけど。

↑名前はふざけてるんですけど、この人の一連の投稿は面白いなって思いました。記録として残しておきたいと思います。

 

「祈り」について去年考えていたので、どうしてもそういうことが気になります。最近は自主的に支援物資を送ったり、ボランティアに参加しようとすることで、政府車両や本当に必要な支援が届かない問題が起こっていると聞きます。自分にできることは、まぁほとんどと言っていいほどないわけで。なんならむしろ邪魔になってしまうというのは悲しさがありますが、それに耐えること、そしてまぁ自分の出せる範囲で募金とかをすることが、大事なんだろうなぁって思います。